年末にこっちのブログにもアップするつもりで忘れてた(;´Д`)

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コメントで依存症についてのお話をいただいて、
ちょっとそういう切り口で書きたいなぁと…。

依存症の治療法とか、私はわからないけれど、
まず本人が依存に気づかなきゃ始まらないのだろう。

依存症じゃない人も多かれ少なかれ何かに依存してるなぁと思う。
でもコントロール不能なほどではないから、自分が依存していることに気づきにくいだろう。
ストレス発散だとか言って、お酒飲んだり、買い物したり、スイーツ食べたり…。

私がブログを書いていたのだって、ある意味、依存だった。
ブログに書くことで、誰かに認めてもらいたいっていう承認欲求を満たしているんじゃないか…
ってのは、2つ前のブログの頃から、何度か記事にも書いて来た。

こんな風に書くと、依存症はそんな軽いもんじゃない!って言われちゃいそうだけど、
本質は一緒なんじゃないかと…。
『自分が満たされていない』ことをそこで満たそうとしているって意味で。


『自分が満たされない』原因のひとつとして、愛されたい、必要とされたい、認められたい、
そういうことが根っこの部分にあるのだろうと思う。
愛されてない、必要とされてない、否定されている、そういう心の傷を誰でも持っている。

そういう意味でも、誰もがいつも誰かに依存しているんじゃないだろうか。
誰かに認めてもらいたい、誰からの評価をいつも気にしている、
前の記事に書いた、自分を写してくれる鏡を必要としてるってことだ。

そういう依存から、いつかは抜けなきゃならない。
でもまずは、その状態で自分がどんな感情を持っているのか、ちゃんと感じないと。
それこそが人間らしさなのだから。


依存症にまでなってしまうような場合は、
自分で満たされていなかった何かがあるのだと、気づきやすいかもしれない。
家庭環境が複雑だったり、親や周囲からの虐待やネグレクトがあったり、
障碍や病気があったり、いじめにあったりした人も気づきやすいかもしれない。

だけど、もう広報はなくなってしまったけど、何度も言われ続けていたのは、
子供の頃からみんなに愛されて幸せだったって思っているような人でも、
必ず、親などから受けた心の傷があるはずってこと。

小さい頃に、周囲の大人が何でも甲斐甲斐しく世話してくれたり、
社会で困らないように色々と躾けられたりってのも、
真綿で締め付けるような『支配』であって、自由を奪われたってこと。
誰だって愛されたい、認められたいから、必死で褒めてもらえるような事をしてきたかもしれない。
それは褒められるようなこと以外は否定され続けてきたってことだ。
逆に、そんな締め付けが嫌で自由奔放にして、叱られたり蔑まれたりしたかも知れない。

人間意識では、つい他人と自分を比べて、大して苦労もしていないくせにとか、
私なんてこんな酷い目に遭ったとか、逆に自分はましな方だとか考えちゃうだろうけど、
他人との比較なんてどうでもいい。

私も、両親揃っていて一時期貧乏ではあったけど、衣食住に困ったってほどでもなく、
一般的に見れば普通に幸せな家庭で育った口だ。
それでも、姉妹間での格差を感じたり、性的被害にあったりと、
周りから見て大したこと無くても、自分自身でも大したことじゃ無かったって思っていたことでも、
実はずーっと後を引いていた。


だからね、そういうインナーチャイルドの気持ちをまずは全部、感じることから始めて欲しい。
それも一度じゃなく、何度も何度も…。
何度も向き合うことで、前回より深く、その次はもっと深く…って
前は気づかなかったことまで出てくると思うから。

そして子供時代のことだけじゃなくて、大人になってからだって色々とあるはず。
仕事でも家族に対することでも、自分が頑張ってることを認めてもらえなくて、悔しい、悲しい、
相手こそ間違ってる、自分の方が出来るのに…とか。
自分の方がいい女(男)なのに、なんでフラれるんだ!なんであんな人に負けるんだ!とか。
自分には能力がなくて出来ない、または自分は可愛くない、かっこよくない、
こんな自分は価値がないダメ人間だ、だから愛されないんだ…とか。

愛されたい、認められたいっていう想いは、色んな形で現れるかもしれない。
愛されている人を見て羨んで、その人を真似たり、
自分より劣っていると感じる相手と自分を比較して勝ったと思うことに安心したり…。


その時感じた事は、他人から見たらただの被害妄想だったり、
独りよがりだったりするのかも知れない。
だけど自分の感情と向き合う時に、そんな事はどうでもいいんだ。
だってそれは、自分の本当の気持ちだよね?
そこに、いいも悪いもない。
自己卑下でも他人への見下しでも、感じたことに蓋をしないで!

真面目な人はつい、そんな風に感じるのは悪い事だ!みたいに自分を責め始めるだろうけど、
そんなのは要らない。
誰だって、ただ愛されたい弱い人間なのだから。

そういう弱い部分を、そのまま受容することが、
心の傷を癒すことに繋がるのだと思う。


自分は愛されなくてもいい、自立した強い人間だ!
って人がいるかもしれないけど、
果たして本当にそう?
ただ強がっているだけじゃないの?

誰かに何かを言われて、ムカついたり、ドキッとして怖くなったりした時に、
どうしてそんな反応をしたのかをよーく感じてみて欲しい。
そういうところに、自分の悲鳴が隠されていると思うから。

ムカついたり、怖かったりするのは、きっと
否定や誤解や叱られてる感じに反発しているってことじゃないだろうか。
そう感じるのは認めて欲しいからだよね?

それを強がって、認めて欲しいなんて思ってないって否定したくなるのは何故だろう?
そんな人ほど、当人が思っている以上に、社会のルールに縛られているのかも知れない。
ルールからはみ出したくない、悪い人になりたくない、優れた人でいたい、
そんな思いが潜んでいるのかも知れない。

私自身そういう面があった。
それをなかなか認められずに足掻いていたのが、今では可笑しいけどwww


自分は誰に対しても、ポジティブな感情しか抱いたことがない、
怒りも対抗意識も感じたことなどないって人は、まぁいないとは思うけど
もしそこまでじゃなくても、ネガ感情なんてほとんどなかったと思っているのだとしたら、
ちっとも自分を大切にしていないのかも知れない。
人に優しくする方にばかり意識をむけて、自分には優しくしていないのかも知れない。

もっと本当の気持ちを感じて欲しい。
寂しかった、悲しかった、怖かった、恥ずかしかった、ムカついた…
更に深い感情も感じてみて欲しい。

そういう感情を持ったことがないというのなら、
他の人の気持ちをちっとも理解できないだろう。
自分が感じたことがある感情しか理解できないのだから。


みんな幼い頃から、社会に適合させるために、あれしちゃダメ、こう思っちゃダメって、
色々と抑制されて自由を奪われてきただろう。
社会のルールからはみ出たら愛されない、価値がないって思い込まされてきたと思う。
その窮屈さに苦しんで傷つきながらも、その呪縛から今も出られないでいて、
自らも他人をその呪縛で締めつけて牽制し合っている人は多いんじゃないだろうか。

怒っちゃダメだ、嫉妬しちゃダメだ、馬鹿にしちゃダメだ、憎んじゃだめだって、
社会のルールに合わせた『いい人』で居続けようとしたら、また自分を縛り付けることになる。

本当はただ愛されたかっただけだよね?
愛されなかったと感じたから、色んな気持ちがわいていたんだよね?
それを認めるのは怖い?
『いい人』じゃなくなるのは怖い?
だけど、人間は弱いだけじゃない、ちゃんと強さも持っている。
いつまでも逃げ回らないで、弱い自分を受け入れる『強さ』を発揮して欲しい。


自分がそれを認めて、そんな自分も愛せたら、
自分だけじゃなく他人を縛り付けることも段々とやめられるんじゃないだろうか。
そうやって縛ることをやめていったら、自分も他人も解放出来る。
自分が『いい人』じゃなくてもよくなったら、他人が『いい人』じゃなくてもよくなる。
自分の度量が広くなるんだ。

そうしたら、他人の言動に段々と振り回されなくなるだろうし、
自分も他人にちょっとしたことで怒りを覚えたり、対抗意識燃やしたりってこともなくなっていくだろう。

そうやって、自分の弱さも醜さもぜんぶ受容出来て、他人の弱さも醜さも認められたら、
初めて、何かや人に依存しなくなってくるのだと思う。
そうして自分の鏡としてしか見えていなかった相手の、本当の姿が見えてくるだろう。

依存しなくなっていったら、何かをすることに変な理由づけは要らなくなる。
やれって言われたからとか、こうするのが正しいからとか。
ルールにも依存しないで自由になったら、ストレスも減るだろう。
スイーツ食べるのだって、ストレス発散じゃなくて、ただ単に食べたいから!になるよね。
本当に自分がやりたい事だけをやるのだ、すべて自己責任で。


私はミカエルやルシファーたちにも、ずっと依存していた。
頑張ってるって認めてよ!私を導いてよ!って。
ほんと、ちっとも自立できていなくて、何かしてくれるのを待ってばかりだったし、
何もしてくれないとなると、愛されてない…って卑屈になったりしてた。

最近やっと、彼らから自立できつつあるかなぁと思っている。
彼らが放っておいてくれるのは、ただ手を引いて導いてくれるのではなくて、
私を信頼して、見守ることに徹してくれているのだと、今はわかる。


既存のスピリチュアルは、
弱い自分を見つめてそのまま内包するプロセスを、省いている感じがする。
人間の弱さ・醜さを、要らないものとして切り捨てようとしたり、
それを、克服しなければならない課題のように扱って、
清く正しく美しく…みたいに無理に転換させている感じ。

あなた=私のような個の分離などないワンネスの世界とか言って、
全部が愛だった、光だったってところに意識を集中させて、
闇をただ感じなくしているだけのように思う。

それで苦しくないという人は、それでもいいかもしれない。
でもそんなんじゃ、自分がちょっとでもネガティブなことを考えたら、
悪いことした気分になって、不安で、苦しくて…。
そんなのはちっとも人間意識を大切にしていないと思う。


それにね、もっと自分の欲望をちゃんと感じるべきだと思う。
そういうスピリチュアルでは、欲は悪いものみたいな扱いを受ける。
『自分が満たされない』原因は本当に自分がしたいことをしていないからでもあるのに。
ほんと、もっと自分を大切にすべき。もっと自由にすべき。

自分を大切に自由に出来ないのなら、他人の事も出来ないだろう。
人間の弱さや欲望を否定して排除して、それのどこがワンネスなんだ?
それのどこが無条件の愛なんだ?って思う。
闇も全部そのままあっていいんだよ!っていう方が、よっぽど自分にも他人にも優しい。


最後に、依存から抜ける、自立することはとても大事だけど、
まったく人に頼っちゃいけないわけじゃないし、誰かのために何かするのがダメな訳じゃない。
人はやっぱり助け合って寄り添い合っていたいものだと思う。
ルシファーが言うように、自分を救えるのは自分だけだけど、それを手助けすることは出来るよね?

自分が愛する人が困っていたら助けたいし、自分が困っていたら助けてほしいよね?
そうやって助け合うことは、本当に幸せな事だと思う。

それぞれが自立して、どんな事も誰かのせいにせず、自分で責任を取れる状態でいたら、
自分や相手の弱さも醜さも、みんな受け入れられたら、
助けることで何か見返りを期待したり、助けてもらうことで変に卑屈になったりなんていう、
歪んだ関係ではなくなるのだと思う。

私も、自分だけじゃ理解が浅いと感じることには、ミカエルたちに助言をもらうこともあるし、
体調が悪いときは、夫にご飯作ってもらったりもする。


なんかまた長くなっちゃった(;´Д`)
次は、私がほんとよくやっちゃってた、正しさに拘ってしまう事の予定。